周知のとおり、現在の経済情勢は、広範な地域と産業にわたり極めて厳しいものとなっている。世界銀行は、新型コロナウイルスの感染拡大により、2020年の世界経済が5.2%縮小すると見込んでいる2。これは、過去数十年で最も深刻で世界的な景気後退である。
新型コロナウイルスによる経済への影響は、景気刺激策により緩和されてはいるが、その一方で、すでに多くの企業が倒産するという事態も引き起こしている。このような環境下では、不正会計問題がコンプライアンス上の重要なリスクとなりうる。
多くの企業が現在の経済環境において、業績目標を達成し、投資家や債権者の要求を満たすため、これまでにないほど大きなプレッシャーを受けている。業績が振るわない企業においてコンプライアンス文化が浸透していなければ、業績目標を達成しなければならないというプレッシャーに晒され、不正会計に走り、財務諸表の重大な虚偽記載にまで事態が発展する恐れがある。
本稿では、前半で、深刻な経済危機の状況で特に注意を要する不正問題について、過去の事例を基に説明する。後半では、コロナ禍という特殊な状況において、有効性が実証された不正調査の手法及びテクノロジーの活用について論じる。
景気後退局面における不正リスクの高まり
景気後退局面では、より多くの企業で資金の流動性が枯渇し、不正行為が表面化するリスクが高まる。図1 に示すように、過去の日本、米国、及び中国の景気後退局面を見ると、多くの重大な不正事件が株価の低迷期から間もなく発覚していることがわかる。
株式市場または資産価値の変動が、不正行為や不正会計の発覚へと結びついた事例として、バーナード・マドフ事件が挙げられる。バーナード・マドフ事件は2008 年のリーマンショックによる株価下落を引き金に、投資家が資金を引き揚げたことから発覚した。
最近の事例ではシンガポールの船舶燃料取引業者であるHin Leong の事例がある。2020 年初頭の石油価格の異常な下落がHin Leong にとって重圧となり、これまで隠蔽してきた損失を隠しきれなくなったことから、倒産という重大な結果に至った。創業者であるLim Oon Kuin 氏は、数億米ドル規模の損失を開示しないよう指示したことを裁判で認め、調査の結果、10 年間にわたりデリバティブ取引で生じた8 億米ドル以上の損失を隠していたことも判明した3。もし、原油価格が1 バレル100 米ドル程度(10 年前の水準)で取引されていたとすれば、この不正は発覚しなかったかもしれない。
このように、市場の低迷から景気が後退し、既に苦境にあった企業において流動性が低下し、より危機的な状況に追い込まれ、不正が表面化したという事例は数多くある。
不正会計は、一般的には、「クリエイティブな」会計手法を用いた小規模な不正操作により、不振事業に生じた業績と目標のギャップを埋めることを目的として始まる。不正の形態は様々であるが、多くの場合、翌四半期で計上すべき何らかの収入を「借りてくる」ことで売上や利益が嵩上げされる。
米国上場企業を分析すると、収益を不正に繰り上げて認識することが最も一般的な手口であり、その他には資産を過大に計上したり、費用として計上すべきものを資産として計上したりする手口が使われている4。もし、企業の業績が回復し、過去の業績目標とのギャップを埋めることができれば、不正は表面化しないだろう。一方、業績不振が続き、業績目標とのギャップがさらに広がれば、業績目標を達成し、過去の不正を隠蔽しなければならないというプレッシャーがさらに重くのしかかる。そうすると、企業はさらに不正を重ねざるを得なくなり、企業の財務報告が実態から著しく懸け離れていく悪循環に陥ってしまう。
従って、経済的なプレッシャーが高まっている昨今の状況においては、会計問題はコンプライアンス上の重要分野といえる。コロナ禍においては、利益確保に苦悩する企業が多く、不正会計が行われるリスクも増す。この為、今後注目度の高い事件が表面化することが予想される。
パンデミックにおける資産価値評価
規制当局や会計機関は、パンデミックにおける不正会計の懸念点について見解を示している。2020 年3 月、香港公認会計士協会は、新型コロナウイルス感染症が示唆する財務報告への影響に関する指針を公表した。同指針は、棚卸資産の正味実現可能価額の測定、資産の残存耐用年数及び残存価額の測定、並びに非金融資産の減損可能性の評価を含め、見積りが必要な分野についてはとりわけ細心の注意を払うよう企業に求めている5。
同様に、米国証券取引委員会(SEC)の主任会計官室は、新型コロナウイルスの影響を考慮して財務報告に関する声明を公表し、新型コロナウイルスの影響により重大な裁量と見積りを伴う会計上の問題をリストアップした。このリストには、公正価値および減損の検討、収益認識、継続企業および後発事象の問題が含まれている6。パンデミックの状況では資産価値の評価が特に困難であるが、世界保健機関がパンデミックを宣言した2020 年3 月は、まさに多くの企業が会計監査を受けていた時期であった。
腐敗行為の蔓延
アジア太平洋地域では、腐敗行為防止コンプライアンスに関連する執行活動が活発になっている。景気減速が長引き、各国の規制当局による中国への関心が継続しており、現在の状況は、当面の間、継続する可能性が高い。
中国はコロナ前から調査・執行が行われる中心地であったが、中国で腐敗行為が度々問題として表面化する要因として、世界経済の中で高まる中国の重要性、長年にわたり腐敗が行われてきた土壌、規制当局による執行件数の増加、そして近年の成長減速などが考えられる。中国では依然として多くの事例が見られるが、他のアジア太平洋地域における調査件数も増加しており、特に、東南アジアやインドに対する注目度が高まっている。
長年にわたり、中国が多国籍企業やプライベート・エクイティにとって優先市場であったことは間違いない。しかし、慢性的な腐敗問題は、多国籍企業が中国市場への進出を検討する際に避けることができない重大な問題であり、対中投資が減少する一つの要因にもなっている。
中国等の高リスク地域で腐敗行為が頻発し、それが表面化するにつれて、多国籍企業が買収を検討する際、腐敗防止デュー・ディリジェンスを実施するようになった。同時に、企業におけるコンプライアンス・プログラムは、単なる倫理規定から、詳細な方針と実行プロセスからなるフルパッケージのプログラムへと進化している。この進展により、従業員の腐敗行為防止への認識は高まってきてはいるが、その一方で、腐敗行為による支払手口も多様化しており、腐敗行為の発見もまた難しくなっている。
腐敗行為のスキームは、一般に、比較的高頻度かつ少額のスキーム(過剰な交際費、旅費交通費等)から、より「クリエイティブ」で不透明な手口による比較的低頻度かつ高額のスキーム(第三者を介した取引、着服事件に見られるようなスキーム)へと変化している。
一例として、不正隠蔽のための文書偽造への調査が強化されたのに対抗して、短期間で複数の第三者コンサルタントに対して同じ業務範囲を委託する手口が見られるようになった。典型的なシナリオでは、政府関係者との接触など、高リスク業務が業務範囲としてコンサルタントへ委託される。
コンサルタントは正式な請求書を発行するため、会社の帳簿等の記録を調査しても不正の兆候は認識されない。しかも、当該コンサルタントは短期間(1 年未満)のうちに当該業務からリリースされ、別のコンサルタントに同一業務が委託される。さらに、これらのコンサルタントは、実質的には実績がなく、市場でも認知されていない新興企業であることが多い。その為、仲介業者や第三者コンサルタント等の取引先に対するデュー・ディリジェンスは必須である。このように、腐敗行為を働く企業は、腐敗行為の事実上のアウトソースを行ってきたため、第三者リスクに適切に対処するためには、不正調査やコンプライアンス・プログラムの範囲の拡大が必要になった。
中国において外資系企業は、コンプライアンスや不正防止プログラムの構築にかなりの労力と資金を投じてきた。しかし、外部からのプレッシャーとともに、急速に高まるリスクと脅威に先んじていくためには、さらなる取り組みが必要である。企業においては、腐敗行為を防止するために、コンプライアンス・プログラムの有効性を再検証する必要があるだろう。
また、米中間の政治的緊張が高まり、グローバル・サプライ・チェーンや中国国外への事業移転、低コスト国への新拠点の設立、サプライ・チェーンや製造部門の多角化を図る「チャイナ・プラス・ワン戦略」の加速が報じられる中、近年では、経済環境やコンプライアンス・プログラムで中国に遅れをとる発展途上地域(特に、インド及びインドネシア)における不正調査の必要性が顕著に高まっていることにも注意が必要だ。
政治的緊張により高まる規制リスク
近年、テクノロジー分野の中国企業は、米国で注目される規制措置の対象となっており、この傾向は当面続くことが予想される。とりわけ、類似する企業に対して異なる制裁措置がとられた点は興味深い。米国商務省はZTE に対して、制裁違反の和解条件の一つである社員の処罰に関して、ZTE が虚偽の説明を行ったことを理由に、これまでに例のない10 年間に及ぶモニタリング措置を課した。一方、華為技術(ファーウェイ)に対しては、サプライヤーが特定のテクノロジーまたはソフトウェアをファーウェイに提供することを禁じるエンティティリストに加えている。また、2020 年7 月、英国政府は、米国のファーウェイに対する制裁を踏まえて、通信各社がファーウェイの5G 機器を購入することを禁止すると発表した。
2020 年7 月に香港自治法が通過し、香港の政治指導者に対する制裁が行われたことを受け、さらに米中関係が悪化すれば、米国が中国に制裁を課す意思があることは明らかだろう。企業に対する制裁の規模や範囲はまだ見えていないが、企業が中国で事業を行う上では、慎重なリスク評価が必要だ。
リモートデータ収集と不正調査
金融・規制リスクが最も深刻なこの時期に、ロックダウン、ソーシャルディスタンス、検疫規制、リモートワークがニューノーマルとなり、不正調査もリモートで行わざるを得なくなっている。不正調査担当者は、変容する環境に適応し、データ収集のために柔軟にアプローチしなければならない。会計等のシステムへのアクセス、ノートパソコンやモバイルデバイスのフォレンジックイメージ取得、オンライン通話による証人聴取など、不正調査のプロセスは完全にリモートで行うことが可能であり、状況に応じた不正調査のアプローチを検討することが重要だ。
不正調査担当者は、ノートパソコンとデスクトップのフォレンジックイメージを取得するツールを含むハードドライブを暗号化して、カストディアンまたはクライアントのIT 部門に送る。そして、オンラインミーティングを通してシステムへのリモートアクセスとコントロールをリクエストし、フォレンジックイメージを取得する。また、カストディアンがクライアントと顧問弁護士の同意を得て、コンピュータ等の機器を不正調査担当者へ直接送付することもある。
収集の前段階で重要なのは、プラットフォーム上に構築したメールシステムを理解することだ。例えば、Microsoft O365等のクラウドベースのメールシステムでは、メールを直接ダウンロードするなど、データの転送時間やメディアの物理的な移動を不要にすることができる。クライアント施設内に設置されているメールシステムの場合は、通常、不正調査担当者がリモートでアクセスできないため、クライアントのIT 担当者によるサポートが必要になる。
モバイルデバイスからデータを収集する場合、そのプロセスはノートパソコンやデスクトップよりも複雑であるため、リモートによるデータ収集は通常推奨されない。ソーシャルディスタンスや国境閉鎖のような特別な状況下では、カストディアンのサポートを要請し、モバイルデバイスに接続されたコンピュータを遠隔操作することでデータを収集することができる。最悪の場合、例えばリモートでのデータ収集の失敗等を考慮し、顧問弁護士の助言の下、また、カストディアンの同意を得て、フォレンジックイメージ取得のために不正調査担当者へ対象となるデバイスを送付することを依頼することもある。
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